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家紋について

普段はあまり意識しない家紋ですが、冠婚葬祭の場面では、とても重要になってくる家紋の知識。ここでは家紋の歴史や着物との関係について簡潔にまとめてみました。

■家紋の変遷

起源

 家紋は千年の歴史をもちます。平安時代、公卿(くぎょう)の間で、神輿や牛車、衣服などに好みの模様を用いたのがはじまりです。これが参内するときの目印となりました。
 武家の家紋の成立は、公家よりやや遅れますが、広く普及したのは武家の方でした。戦場における混乱を避けるため、敵味方をはっきり判別し、自分の武功を際立たせ、後日の恩賞にあずかるためにも、他氏とは違った”標識”が必要だったためです。
 鎌倉武士は”蒙古襲来”に際し、独自の家紋を据えた軍旗の下、命を賭けて戦いました。家紋は武勲とともに輝き、一門の名誉を表す旗印となりました。そしてさらに戦国の戦塵によって磨かれ、大きく成長していきました。
 武勇に輝く有名紋は、羨望のまなざしで仰ぎ見られ、また手柄によって主家の門を下賜されることもありました。一番の名誉は、朝廷からその副紋である”桐の紋”を賜ることでした。足利尊氏、豊臣秀吉がその代表例です。

変遷

 1615年(慶長20年)大坂夏の陣を最後に、戦乱はおさまり太平の徳川期になると、幕紋や旗紋・陣幕などの必要もうすれ、家紋の用途はもっぱら”家格”を示し威儀を正す儀礼的なものとなりました。
 戦国乱世では戦陣の功名がものをいうが、太平の世となれば”家格門地”がこれに代わり、それを表示する家紋は、その上下を区別するという別の意味でますます重要性を帯びてきました。
 徳川幕府の政治はまさに「”家紋”の格付けによってなされた」といっても過言ではありません。将軍と大名、大名と家臣の区別はいうまでもなく、大名同士、家臣同士の間にも厳然として家格門地の違いによる区別(差別)がありました。江戸城の大手門には下座見役(げざみやく)がいて、登城してくる大名の紋所を確かめ、それによって「どこそこの殿様ご登城」をいち早く城内に知らせ、対応や控え室を違えていました。
 参勤交代では江戸へ上るとき、道中で他の大名と出会うことがありますが、相手の家紋や槍印を見て、礼儀作法を考えなければなりませんでした。家格の低い方が行列を止め、殿様は籠の戸を開いて会釈する等の礼をわきまえなければなりません。このため先頭の先払(さきばらい)には、諸大名の家紋に精通した者を選んでいました。
 家紋のチャンピオンが”三葉葵”(みつばあおい)の紋所。一目見ただけで土下座となる、これは人気ドラマ『水戸黄門』のお馴染みのシーンです。
 家の定紋は、幕府に届出の正式の紋。やたらと改変することはできませんでした。大名、旗本も定紋によってランクが決まり、序列がありました。この家紋と家系の名誉は、実際に命より大切であったわけです。

庶民へ

 一方幕府は、名字帯刀を許さなかった庶民にも、どういう訳か家紋の使用は自由に認めました。これで、お江戸は家紋の花ざかりとなり、世界にも類を見ない多くの優れたデザインを生み、その美を競うこととなりました。
 役者や遊女も好んで紋をつけました。市川団十郎は「三枡(三つ入れ子枡)」を代表紋として”見ます”にかけ、二升五合(枡々半升=ますます繁盛)より上をいくことを心掛けたといいます。
 庶民も『紋帳』を見比べ、気に入ったものの変形を”上絵師”(うわえし)などのデザイナーに頼んで描いてもらい、まさに家紋の百花繚乱期となりました。家紋の形も優美になり、鹿の子に染めた鹿の子紋、金糸を使った縫いk紋など、派手な世相を反映、用途も衣服だけでなく広範多岐にわたって一挙に拡大していきました。
 武家の家紋は、家督と同様に嫡子相続法からいって男子正嫡をもって継承するのが定法でした。次男以下、また腹違いの者が分家する場合の定紋は、出自を明らかにするため、多少デザインを変えて表示したので、庶民もこれに準じました。こうして家紋は分家のたびに増えていき、現在基本的なもの(プロトタイプ)だけで二百種類もあり、その変形バリエーションは五千種類以上におよびます。絵柄の種類としては、花などを題材とした植物紋が圧倒的に多く、武官の紋をである尚武紋(しょうぶもん)、動物紋、天体などをイメージした天然紋、文様紋、図案紋、器物紋、調度紋などに分類することができます。
 今日では、家紋は着物や家具調度品につけ、自分の家を明示する役割があります。礼装着物には必ず紋を入れ、格調や威厳を示すものとなっています。武具の系統としても、五月人形、兜飾りなどによく見受けられます。その他では、商家の暖簾、漆塗りのお椀、袱紗(ふくさ)、風呂敷、衣裳行李、蒲団表地、鏡、鏡台掛け、法被、幟旗、酒盃、提灯、線香立て、お神輿、幔幕(まんまく)、襖、瓦、墓石に至るまで、江戸の名残をとどめています。
 さらに最近では、会社のマークからネクタイ、ネクタイピン、カフス、コンパクト、帯留、バックルなどの装身具、アクセサリーにまで及び、応接間のインテリアに家紋の額を掛けている人もいます。

着物と家紋

 現在家紋が使われる最もポピュラーな例といえば、やはり呉服(着物)のいわゆる紋付でしょう。
 婦人の場合、正装は「黒留袖の五つ紋」とされているが、”留袖”というのは礼装用の黒無地裾模様の着物のこと。未婚女性の正装である”振袖”に比べ袖丈が短く(約50cm)、結婚後、振袖の袖を留めて(切って)着用したので、この名がつきました。
 黒留袖と色留袖があり、生地に色のついた裾模様が色留袖です。ともに全体に模様の入った豪華な”訪問着”より格は上とされています。 

家紋の大きさ

 家紋の大きさには、標準寸法があります。男性の場合直径約3cmの円の中に、約2.7cmの大きさで描きます。
 女性は、直径約2cmの円形が一般的です。

家紋の数

 式服に据える家紋は、”五つ紋”、”三つ紋”、”一つ紋”の違いがあります。正面の両胸、背中、両内袖中央の五か所に据えるのが”五つ紋”で最も格式の高い礼装=黒留袖や黒喪服に用います。”三つ紋”は背中と両内袖で、色留袖や色無地などの準礼装となります。披露宴に招待されたときや、子供の入学式に着るのが一般的です。背中に一つが”一つ紋”で気軽なパーティーまでも広く着られる略礼装にあたります。
 男性の場合、和服で正装するには、黒五つ紋付の長着、羽織に袴を着用します。結婚式の新郎の衣裳として現在でも人気があるようです。

■五つ紋

正式のものは染め抜きの五つ紋で、紋が白く染め抜かれている日向(ひなた)紋を用い、着物も羽織も(1)(2)図の位置につけます。


■三つ紋・一つ紋

  略礼装の場合は、染め抜きの三つ紋にし、(3)図のように後身頃にだけつけます。略式の場合は、(4)図のように一つ紋にし、さらに染め抜きではなく、縫い紋にしてもかまいません。その他略式の場合は影(かげ)紋といって、白い輪郭であらわした紋を用いる場合があります。

■家紋の位置

標準的な紋の位置は下図の通りです。

■衿付から家紋の上端まで
一つ身:4cm
四つ身:4.5cm
本絶ち:5.5cm


■肩山から家紋の上端まで
一つ身:10.5cm
四つ身:13cm
本絶ち:15cm

※男物の場合は、着物と羽織で胸紋の位置が違い、着物は生地巾のまん中におきますが、羽織は紋の大きさの分だけ袖付寄りにおきます。




※裃上衣の場合は、肩山から家紋の上端まで18cmとなります。
※袴の場合は、背板の中心となります。



このページの参考資料
日本実業出版社 『家紋の辞典』
家紋 Word
有紀書房 『着物の仕立て方』
二千点無料家紋辞典と格安データ「家紋の湊」
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